オープニングイベント情報

http://www.niji.or.jp/chirorin/jpg/sinnsyaoku/0612/061224_0001.jpg
http://www.niji.or.jp/chirorin/jpg/sinnsyaoku/0612/061224_0002.jpg
http://www.niji.or.jp/chirorin/jpg/sinnsyaoku/0612/061224_0003.jpg
http://www.niji.or.jp/chirorin/jpg/sinnsyaoku/0612/061224_0004.jpg
http://www.niji.or.jp/chirorin/jpg/sinnsyaoku/0612/061224_0005.jpg
http://www.niji.or.jp/chirorin/jpg/sinnsyaoku/0612/061224_0006.jpg
http://www.niji.or.jp/chirorin/jpg/sinnsyaoku/0612/061224_0007.jpg
http://www.niji.or.jp/chirorin/jpg/sinnsyaoku/0612/061224_0008.jpg

上記八枚の写真は、たぶん12月23日から24日にかけて撮影したものですが、日付の境がどの写真かわかりません(泣)


http://www.niji.or.jp/chirorin/jpg/sinnsyaoku/0612/061225_2101.jpg
http://www.niji.or.jp/chirorin/jpg/sinnsyaoku/0612/061225_2102.jpg
上記二枚の写真は間違いなく12月25日の夜です。私の母親が弊社新社屋の近くにある居酒屋でご機嫌・・・じゃなくて叔母の家で歌い出したので撮影したものです。
子供達は前日クリスマスイブの日も午前3時4時までオープニングの用意、そして25日(この日記を書いているのは12月27日です)の夜も午前様で仕事をして、朝は6時半から仕事を続行しています。
私は母の写真を撮ったあと、すぐに寝たらしく目が覚めたら12時前、代行で家に帰り爆睡でした。この爆睡が今も私が倒れていない理由でしょう。母さんありがとうございましたm(_ _)m
さすがに普段は丈夫な子供達も昨日26日の昼頃に次男が倒れ、夜中の12時過ぎには三男が倒れました。残るは5人です、まさにサバイバル状態(泣)

てなわけで、母は私とも満足に話をするまもなく九州福岡へ向かって高松を後にしました。これじゃ、なにがてなわけかわかりませんね(笑)
つまりですね、私たちは早朝から深夜早朝まで働き、寝るまもない状態の日々でして、そこへ母がオープニングにわざわざ九州博多から痛い足を引きずりながら来てくれたので、せめて一晩ぐらいは御一緒しようと母が泊めてもらう叔母の家(叔母は私達家族の状況を多少ご存知)へ母が大好きなビールと酒を持って夜の8時頃ようやく駆けつけたのです。ところが私は小一時間ほどでコタツで爆睡、翌日は引っ越しのため元事務所へ行き(もちろん子供達は普段の仕事とオープニングの仕事をこなしています)当然オープニング会場にはいないわけで、翌日会場に来れば息子に会えるものと思っていた母、ところが実際ほったらかしでしたから母としたら淋しい思いで高松を後にしたのでしょう。
事務所とお店と倉庫の三事業所と倉庫に置いてある長男長女の荷物の引っ越しを暮れの忙しい、しかもオープニングイベントも同時進行、まるで生き残るのはだれだ!と命懸けの日々をたんたんと送っているわけです。