二日続けて冬瓜の話

冬瓜で思い出したが、若い頃の傷心の旅で与論島まで流れていったことがあった。当時、そこから先は外国で沖縄へ渡るにはパスポートが必要だった。パスポートなんて代物は見たことも食ったことも無い、そのどん詰まりの島の洞窟で暮らしていた。島に着いた時から文無しで砕石の親方に拾われて住み込み生活、朝から晩までダイナマイトとハンマーで石を割り小石を作るのが仕事だ。日給は500円、朝昼二食付きだったと思う。そのとき頂いたみそ汁、これがなんとソテツみそ、ソテツの実は毒抜きしないで食わすと牛でもころりと死んでしまうくらい猛毒だ。そして極めつけの冬瓜の煮物、今思い出してもよだれが落ちる。与論島では野菜の種類が少なくて冬瓜は重宝してるのよと親方の奥さんが言ってた。「ほったらかしで生りますよ」と、その時のトラウマなのか、それほど望んだ訳でもないのにここ数年毎年ちろりん村の畑に勝手に生えてきます。