そろそろ現実を受け入れよう

東日本はほぼ完全に放射能に占領された、いや、今されていないところも数十年後は占領が完了するだろう。遅すぎたが悔しいけれど退却するしかない、半分になった領土と多分半分になるであろう働ける国民が力を合わせて生き残りをかけて戦略を練るしか無い。で、なければ全滅、これが現実だ。
誰かが助けにきてくれはしない、今度ばかりは自分の手と足で自らを助けるしか無い。何もかも全て専門家という無能な集団にお任せしてきた結果がこれだ、自分ひとりでも生きる気概を持て!

当然だが、東日本の商品が売れない、売る訳にいかない

当然だろう、これだけ嘘を突き通して、隠し通して、それでも汚染されたものを売ろうとする、それらを消費者が知らないとでも思うのか? もちろん最初に放射能をバラまいた責任は生産者には無い、しかし、その後の対応があまりにもお粗末。我々や消費者に文句を言うのではなくて電力会社に文句を言うべきだ。

二日続けて冬瓜の話

冬瓜で思い出したが、若い頃の傷心の旅で与論島まで流れていったことがあった。当時、そこから先は外国で沖縄へ渡るにはパスポートが必要だった。パスポートなんて代物は見たことも食ったことも無い、そのどん詰まりの島の洞窟で暮らしていた。島に着いた時から文無しで砕石の親方に拾われて住み込み生活、朝から晩までダイナマイトとハンマーで石を割り小石を作るのが仕事だ。日給は500円、朝昼二食付きだったと思う。そのとき頂いたみそ汁、これがなんとソテツみそ、ソテツの実は毒抜きしないで食わすと牛でもころりと死んでしまうくらい猛毒だ。そして極めつけの冬瓜の煮物、今思い出してもよだれが落ちる。与論島では野菜の種類が少なくて冬瓜は重宝してるのよと親方の奥さんが言ってた。「ほったらかしで生りますよ」と、その時のトラウマなのか、それほど望んだ訳でもないのにここ数年毎年ちろりん村の畑に勝手に生えてきます。

冬瓜の料理法は?

今年も勝手に生えてきた冬瓜が畑に数十個ころがってる。すでに十個近くは人にあげた、でも、誰もオイシカッタヨの連絡が無い。今年の冬瓜は出来が悪かったのかなあ?ご迷惑になってはいけないのでこれからは「冬瓜が必要ですか?」と確認してから差し上げることにしよう。店で販売しようとも考えていたが、ちょっと自信喪失(笑)

お母さんの生き残りたいとの思いが必死に伝わってくる

約30年前にちろりん村がスタートした頃を思い出します。「農薬や化学肥料や添加物がいかんじゃ言うても、この世の中に本当に無添加の食品なんて無いのだから、家族にも普通に売られている添加物の入った食材を食べろと言うよ」でも、そんななかで懸命に安全安心な食材を求めて食べてきた家族は平均的に健康で長生きしています。今また同じことが繰り返されようとしてます、「放射能に汚染されていない食品は世界中に無い」と、そうですか、だったらあなたは汚染された食品を食べてさっさと死ぬしかありませんね、お人好しもいい加減にしないと、子供や孫が哀れです。
日本人は食べ過ぎてます、一人一日1500キロカロリーあれば十分なのに3000キロカロリーくらい食べてます。しかもそれと同じ量を廃棄処分してるんですから、東日本で食料が作れなくなっても西日本で採れた食料を分ければ十分やっていけます。
必死に生きようとしてるお母さん、我々も必死です、困った時はぜひご来店ください。

何もすることが無い幸せ

体調を崩して寝たり起きたりしだしてからというもの、気がつくと酒もタバコも飲まなくなってた。そして最近やっと余裕が出たというか、食べ物のことを考えることが多い気がする。旨いものを食ってといっても普段から美食家ではないので精々うどんか、そのうどん屋に置いてあるするめの足を塩水でふやかせた天ぷら(生ゲソの天ぷらは嫌いです)くらい。うどんといっても一玉が精一杯です。
「酒も煙草もやめると退屈するぞ」と言われても、その退屈が最近は今まで以上に好きになってきた(笑)
あと気になるのは背中の瘤です、丁度ゆで卵の半分くらいでしょうか?背骨の真ん中あたりにあって、上を向いて寝たり、椅子の背もたれにもたれたりすると痛みます。数日前にコンクリートの上に背中を打ち付けてしまい、そのときに瘤を痛めたのでしょうか?瘤の一部が紫色に腫れています、自分では見えないので妻に見てもらうと、「なんか膿が出てきそうだよ」と平然とのたまうが、事は重大である、背骨から脂肪がはみ出して瘤になり、その瘤が化膿しているのだ(笑)飯山一郎先生お勧めの豆乳ヨーグルトを今日も飲まなくては。