言論には言論でという言い方だけで本当にいいのか?

言論は強者に独占されている、例えば言論弱者に「言いたい事があれば我々に分かる言葉で言って見ろ!」と言われれば黙るしかない。「証拠を出して見ろ!」と言われれば俯(うつむ)くしかない、証拠は根回しして揉み消されているのだ。
長女(夏子)が綾南町で轢き逃げされた時も、犯人は地元有力者の一族で警察や病院ぐるみで証拠を隠滅され、何もなかった事にされた。警察曰く「大西さんなあ、轢き逃げ轢き逃げいわん方がええよ、本人は泥酔してて子供さんに車をぶつけた事は覚えてないのだから逃げた覚えはない、だから轢き逃げとは違うんよ」。当時は私も若く、警察が嘘をつくはずもなく、そんなものかと思っていた。
高松脳外科で夏子の脳波の異常が出たのに町医者は「最初は異常だと思ったけれど、何かの間違いで正常の範囲内です」と言った。納得できない私は食い下がったが町医者は不機嫌な様子で「大西さん、子供の脳波に異常があった方がええんな!無いと言うてるでしょ!」と怒り出した。その町医者は別件で後に逮捕されてます。
ちなみに轢き逃げした男は翌日から車に乗っているのを見たし、逮捕もされず、免停になったとも聞いてない。車の運転席の前に夏子の頭が当たりボディーが大きくへこみ車の下側には夏子の靴跡が残っていた。夏子の頭頂部にテニスボール大のコブができ、コブが無くなるまで入院していた。悔しくて情けない生涯忘れられない事件です。
言論弱者は訴えるすべがないのが実体ではないでしょうか?訴えると、カネ欲しさだと言われ、泣き寝入りの道しか残されてないのが実体ではないでしょうか?裁判のシステムもそうなってます、カネを請求しないと裁判を起こせないのですから。誰でもが言論に訴える仕組みが完備しているなら「言論には言論で」も有効でしょう、必要ならば通訳や標準語で話す代理人も用意しておかなくてはなりません。いかん、いかん、昔、民法テレビ局を訴えた原発バイバイCM裁判を思い出し怒りで震えてきた、テロリストの気持ちが分からないではない(笑)
ま、ウヨクに言論で来い!ってのは、サヨクに腕相撲で来い!ってなもんで実のある話にはならない。ところで俺はウヨク?サヨク?よくわからんままウヨサヨしてます(笑)