伊藤淳子訳「心が安まる老子」

第二十章 悶々としても自分は自分


学ぶことをやめれば、悩みごとがなくなる。
「はいっ」と短く返事するのと、間延びした返事とでは、どう違うというのだろう。
そんな細かい決まりごとやルールに、どんな意味があるんだろう。


善と悪についても、なにが善で、なにが悪かを決めることに意味などないのではないか。
ルールや秩序、マナーやエチケットなど、いったい、どの程度まで守ったらいいのだろう。
どんなことを、どのくらい気にしたらいいかと考えるのはめんどうだ。


人々は、おいしいものが並んだパーティーに参加したように、嬉々としている。
あるいは、うららかな春の日に、のんびりピクニックを楽しんでいるようでもある。
しかし、自分は、違う。


心を動かすこともせず、笑うことも知らない、生まれたばかりの赤ちゃんのように、ひっそりとしている。


みんなはいろいろなものを有り余るほど持っているのに、自分はなにも持っていないから、消沈してしまうことがある。
そんなことで鬱々としている自分が、いかにも小さな俗人に思える。


周囲の人々はみな、はつらつとして、てきぱきしているのに、自分だけは暗闇の中にいるような気分になる。
人々がみな、颯爽(さっそう)としているのに、自分だけが悶々としている。
ゆらゆらと海の水のように揺れ動き、風の吹くように、ふらふらと止まることができない。
人々はみんなスマートに見えるのに、自分だけは頑固で泥臭い。


自分は人と違ってみえるが、これが自分の道なのだ。

  • 「心が安まる老子」の著者伊藤淳子さんからメールを頂きました

下記に掲載します。
大西様
「心が安まる老子」の翻訳?者の伊藤淳子です。ブログでのご紹介、ありがとうございます。
今日(というか、さっき)テレビで、農薬散布によって、子供たちの神経回路の発達以上が起るというよう
なレポートを放映していました。農家のみなさまのご苦労を思うと、勝手に食べるだけの都会人たちの勝手な言い分は心苦しく思う部分もありますが、農業や食は、日本の未来をも担っていると考えますと、やはり有機栽培や、せめて低農薬で作っていただきたいと思うばかりです。


「ちろりん村」というと、世代が同じような気がします(笑
先日、某講演で「アンノン族」と言ったら、参加者の半数が知りませんでした(笑)
日本の未来は、どうなるのでしょう?
よくならないまでも、悪くならないようにがんばらなくちゃいけませんね。
突然のメールで失礼いたしました。
伊藤淳子