食べ物を廃棄する現代の農法

本来は人が食べるか、家畜などに食べさすのが筋だ、ところが現実は廃棄している。昔なら考えられないことだが現実がそうなっている以上、そこからスタートするしかない。残ったものを粉砕して発酵させ、完全堆肥化が行われているが、小規模な菜園などには手間や経費がかかりすぎ不向きである。何処かで堆肥にしたものを購入して使うしかないので、正直何が入っているか不明なものを畑に施すには不安が大きい。堆肥を作るにしても一カ所に大量の残り物を集めて、大型機械を使って大量に堆肥を作り、それを各地の畑に移動するだけでも相当無駄がある。理想は生活空間で生産も消費も行えることだろうが、今までの都市空間と田園というか田舎空間という考えを払拭しなくては出来ない、コペルニクス的大転換が人類一人ひとりの頭の中に収まるような時代にならなければ不可能だろう。田中角栄ではないが「日本列島大改造」を二回りくらい凌駕する大改造になるだろう。もちろん、そうなったときには讃岐は水の都として世界中から人々が見学に訪れていることは間違いない(笑) 話が飛躍したが、水不足で悩む讃岐こそ水の都になれる資格があるのだ。
何度でも言う、原発なくてもエネルギーも水も食糧も自給でき、今よりも豊かに安心して暮らせるのだ、トップリーダーがその気になれば。ネックはリーダーの不在だろうな、同じことを何度も書くのは飽きたので興味のある方はご連絡下さい、お茶でも飲みながらお話ししましょう(笑)