自給自足は遙か彼方(泣)でも、着実に一歩ずつ

35年前、自給自足を目指して四国へ帰ってきた。自給自足といっても、主食や野菜・肉魚まで全てを作ったり採ったりというのではない、縄文時代ならいざ知らず・・・日々の生活の中で自給できるもの、たとえば太陽光発電とか雨水や井戸水などを利用するとか、食べ残したものは土に戻して野菜を作るとか、身近で地味で目立たないけれど着実にモッタイナイを地でいける生活だ。身の回りを見回すといくらでもある、宅配(通販)に使用する段ボール箱もリサイクル、クッション材も新聞紙を再利用、カーターナイフの刃は使い捨てずに砥石で研ぐなど、いくらでもある(笑)
ちなみに、敷地内にある菜園の野菜に関して言えば、本来の目的は第一義として残った生物(なまもの)の処理であり、結果として野菜ができるのは二義的な副産物である。誤解があるようなので敢えて言う、売る目的のみで野菜を作っているのではない。非常時ならば食べるのが第一義だが、常には農薬や化学肥料など一切不使用でフードマイレージゼロの野菜として、お客様にお出しして、残ったら家族で頂いている。
生ものなどを自治体に出すと言うことは環境に負荷をかけることになり、ひいてはみんなに迷惑をかける行為である、いかにかける迷惑を少なくするかが現代に生きる人間の責務だろう。このように自給自足とは人に迷惑をかけない生き方であり、21世紀に生きる人々の努めである。←ちょっと強引な終わらせ方だな、でも毎度同じことばかり繰り返して書いているので我ながら飽きてきた(笑)